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2017/08/19

学問について

久しぶりに堅苦しく「学問」について考えたいと思う。

といっても、まずなにを考えようか…。

人はなぜ学ぶのか、などのテーマはもの凄く哲学の領域に入りすぎている気がする。

うーん、大学に進学することの意義について考えてみたい。

学問をする、という言い方があるだろう。
学問をするためには、師が必要だ。

師は、先生であったり、書物であったりする。

学問するためには良き師を見つけ、教えを請うのだ。
師がたくさん集まるところが大学なのではないか。



大学は、遊び場ではない。
そして、教育の場というにも、ふさわしくない。
大学では、すでに受けるべき教育を受けてきた18歳以上の人間たちが社会を形成するからだ。
当然、社会にふさわしい行動が義務づけられる。
まさに、自由と責任は表裏一体である。このことを教えてくれたのは、桐蔭学園英語科教諭岩崎氏である。


それでは、大学をなんと言うべきか。
学びの場、とでも言おうか、大学はいろいろな意味での学びの場であると思う。

義務教育である中学校までの過程を経て、高校生活で勉学と社会を共に学ぶ。
それまでは、大概の失敗は許される。いわば練習場のようなものだろう。

大学に入学してからは、今までの練習を踏まえて、より実践的に行動する。
当然失敗することもあろうが、それは大体は自分の力で何とかせねばならないものが多く、本当の自分の力を磨くにはもってこいである。


小学校・中学校・高校には国によって定められた学習指導要領、カリキュラムなるものが存在する。
授業はこれを大きく逸脱することは望ましくない、とされる。

しかし、カリキュラムというものは、本当に効果的なものであるのか。

「教科書批判」をする先生を見かけることは少なくない。

学を教える先生が言うのだから間違いではないのだろう。
そうすると、カリキュラムの内容自体、疑わしくなってくる。


大学には、そういった均一化をするものがない。
その大学の指針に従って、学生は学問することができる。

別の言い方をすれば、枠にはまらない学びをすることができる。
形式にとらわれない学び、これは必要なことである。
体系化した学びも大切であるが、それだけではだめだということである。
実際の生活には多種多様な学問が潜んでいるからだ。


総合大学に行けば、そのUniversityの名の通り、全ての学問とまではいかずとも多くの学問を学び、相互関係を見いだすことができると信じている。


大学では、型にはまらない学問、多種多様な交友関係、趣味、努力…といった、今までやってきたこともできなかったことも、できる。

この四年間で、なにをどう学びとるかは、自分の意志によるものである。

どうか、無駄な時間を過ごさないよう、意識して暮らしていきたい。

豊かな決断力、行動力を発揮する。

常に、頭で考え、冷静に判断。

前から、人生のキーワードとしてきた「人脈」を忘れずに過ごしていきたい。

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2012/03/16 日記 Comment(0)

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