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2017/07/22

二元論

悪を滅ぼすことが可能だと思いますか?


―私の答えは「可能ではない」。
ただし、人間が存在していることが条件です。

現在、この日本をはじめとする国々には、裁判所というものがあります。
これは法律に基づいて、審議される事柄において被告人の有罪無罪を定めるところあります。
ここでの二元論は「善と悪」になります。
「悪」とされたものには罰を与える、ということが一般になされています。
これは裁判所に限ったことではないのですから。

世界の安定というのは何で計ることができるでしょうか?

 ひとつに「平和」というものがあります。
世界が平和であるかどうか、なんて誰にも分かりません。
 そもそも、世界とは何を言っているのか?
昨日買った書のなかには「世界は時空である」(世=時間、界=空間)と記されていました。
世界とは一般に言うと地球上全体を表します。
宇宙のことは含まないでしょう。
地球上を考えると言うことは、地球上の生き物を考えることができます。
とすると、地球上の生き物が平和の尺度となるわけです。
 ここで多くの人間が、「人間という生物」を主として考えます。
これはあまりにも身勝手な考えであります。
しかしながら、恐らく平和がどうたらこうたらと考え、議論したりするような生物は人間の他にはいないのでしょう。
だから必然的に人間は中心となってさまざまなものに働きかける必要があるのです。
 幸い、人間には心があった。
他の生物を慈しむことができる。
心とは目に見えないもの。単なる二つのものでは表せません。
二元論は効かないのでしょう。

 世界の安定を平和で考えると、それもまた「善と悪」が最終的に表れるでしょう。
両極端にあるもの(ここでは善と悪)、これは決して消え去らないものです。
これはなぜでしょう?
 
 ここでも悪とは何かという疑問が浮かびます。
実際こんなものは定義づけさえもできない事柄であると思います。
それは人それぞれだからです。また時代によっても変わるからです。
 
 例にこんなものが挙げられます。
ある昔。中東の大量殺人者が指名手配をかけられて、世界中を逃亡していた。
しかし、ついにその殺人者は捕まえられて、罰せられること(死刑)になった。
彼が死ぬ前に言った言葉は「人を殺すのは悪いことではない。彼らは殺されるべきであった。」であった。
そう、ここに表れるように、その人、またはその人の生まれ育った国、文化からの影響もあって、現代の私たちにしては信じられないような考えを持っているのであります。
 この例の殺人者が大量虐殺したのは、ユダヤ人。つまりは今の言葉で言う人種差別です。
今でさえ、世界のほぼ全域で通用する人権ですが、ちょっと昔までは、そのような概念すらない国だってあったのです。
 これは、時代の流れで世界の意識が変わってきたと言うことであります。
パラダイムと言いますね。パラダイムは拡大解釈した意味での使用ですが、お許し下さい。
今では「殺人は悪である」というのは真理であります。
だがしかし、先の例の時代では、(国・文化の関係もありますが)殺人は必ずしも悪ではないのです。

 現代の世界を考えているので、「殺人は悪である」ということで殺人した全ての人を罰するとします。
ここで全ての人間をUとし、善人をA、悪人(殺人者)をBとします。
Bは罰せられるわけです。この段階でBがAに移り変わるということになります。(再犯の可能性などは考慮しない。)
 だが、こうしてしまうと必ずしも悪が滅びるというわけではありませんね。というのも、悪というのは殺人だけではないからです。
BはAになって、Uは全てAである、これでめでたしめでたしではないのです。
 
 国家というのは同じ種族、似た種族の集団でありますが、他の国家と比べると基本的に平均して皆同じ考えを持っています。
さらに種族などで固めると、アジアや欧州、南米などの集合体ができあがるわけです。
 何とも複雑なことに人間は宗教を持っています。
この宗教の違いで争いが起こります。
これは単なる一例に過ぎず、領土の問題でも争いは起こったりするものです。
 必ず争いには善と悪が存在します。
どちらか一方が悪いわけで、それを決めるために争うのです。

 領土問題の場合、単純にして考えるとどのような方法が一番平和的でしょうか?
単純というならば、半分こが最適でしょう。
実際にはさまざまな私利私欲によって、半分こにはできない理由が生じますがね。

 半分こするというのは両者に対等と言うことです。
つまり、平和というのは対極にあるもの同士が対等であるということなのです。

 化学や、物理で扱う「原子」に置き換えてみましょう。
原子の中心には「原子核」があります。原子核は陽子(電気的に正)と中性子(電気的に中性)で成立しています。そのまわりに電子(電気的に負)があります。
この電子が陽子の持つ電気的なエネルギーと釣り合う数であれば、原子は安定であると言われます。
つまり、この場合の二元論は(電気的な)「正と負」であり、これらが対等であるときに安定するのです。


これらから考えて世界の平和というのは善と悪それぞれが半分半分であるときに成り立つのではないか。

また、悪を根絶やしにしようと必死になっても、消えるのは見かけ上の悪だけであるという事実があり、
目には見えない悪が実は人間の心という二元論の効かない厄介なものにひっそりと隠れているのである。
故に悪は人間が心を持つ限り消えないのである。

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2009/10/27 日記 Trackback(0) Comment(1)

COMMENT

無題

僕は悪は例え人間がココロを持っていても
消えると思います。
しかし、とてもいや限りなく困難です。
善を完全な水晶玉とします。
すると、悪は
傷のある玉とします。
完全に悪を取り除こうとするなら
完全な球を作り出さなければいけません。
それはとても難しい。

なぜなら、殺人者(悪人)が死刑になっても
その人を作り出した人がいるからです。

実行犯を処罰しても、
結局殺人させる人がいる限り
殺しは止まりません。

セカイでの話もそうです。
国家のない地域は軍隊を組織できません。
精々パルチザン・・。
最高責任者がいません。
よって外交交渉できずに
没落し他国に支配されるでしょう。
国家は自国防衛のことでもあるんです。

しかし、戦争、支配欲のない人がいなければ
国家なんて必要アリマセン。
皆勝手に生活します。
境界線も必要アリマセン。
でもまぁ白人とかは黒人差別するでしょうが…。

人が殺害を決断しても
それを実行させないものがあります。
それは人間特有の理性です。
しかし、決断させるのも人間の心です。

しかし決断させる要因を作ったのは
周辺の”加害者”です。
私は実行した人より
その要因を作った人たちが
正真正銘の”悪”だと思います。

もし、1対1の対等な攻撃力を持っていても
どちらかが息絶えるまで殺しあうでしょう。
それにセカイを1対1にしても
実際はどちらかが10になるでしょう。
それは歴史が証明しています。

このことについては
あなたとはじっくり話してみたい。
キーボードで指が死にますんでww

独裁者 XP 2009/10/31  14:33 EDIT RES

Re:無題

なるほどねぇ
XPさんは歴史的背景からの論理展開をよく行っていますよね。

私は、歴史的知識という素材を持ち合わせていないので、身近なところからの発見を結論への材料にしています。

人の心というのは誘惑に弱い、と私は友人と考えました。
というのも、悪のかけらも見えない人でも、目の前に欲しいものがあれば、目を盗んで取ってしまう事があるからです。

これを防ぐためにはいわゆるストア派の思想、禁欲をしなければなりません。
理性であらゆる欲望を抑えていたら、絶望的であるかもしれません。

ですが、これは普遍的なお話なので、民族の話などが加わると、結論が変わってしまうかもしれませんね。

ご意見、有難う御座いました!
*私の場合、おそらく、口頭では単語がすんなりと出で来ぬw

Mr.Dora 2009/10/31 21:51

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